世界一周中に感じた日本の幸福と不幸 政治と戦争

旧ソ連のアルメニアとアゼルバイジャンの間で大規模な戦闘が起きたというニュースがありました。
アルメニアとアゼルバイジャンはイランの北、ロシアの南に位置する旧ソ連の国です。どちらも日本人にはあまりピンとくる国ではないかもしれません。

実は、私はアルメニアには世界一周中に行ったことがあります。エレバンという首都に1泊か2泊しただけで、しかも前後に訪れたイランとジョージアが強く印象に残っているので、アルメニアは正直、あまり強く印象には残っていません。

アルメニアとジョージアはどちらも旧ソ連から独立した国です。両国を訪れて強く印象に残っているのは、ロシアの影響力とそれに対する人々の反発です。
行ってみて驚いたのは、英語よりもロシア語のほうが通じるということです。街中で何かを聞いたりするときに、「英語話せますか?」と聞くと、逆に「ロシア語話せる?」と聞かれることがよくありました。

アルメニアではあまり多くの人と話す機会がなかったのでどうかよく分かりませんが、ジョージアでは節々にロシアに対する反感や不信感を感じることがありました。
私がジョージアのトビリシで泊まっていた宿は中年の夫婦が経営しているアットホームな宿だったので、そこのオーナー夫妻に色々と聞くことができました。
ロシア語はソ連時代、学校で必修だったので話せる人が多いそうです。逆に英語はあまり話せる人はいません。一方、ロシアに対して多くの人はあまり親近感を抱いてはいないようです。ロシアとジョージアはジョージア北部の領土問題で対立していて、過去には戦争も起きています。宿の主人は「ロシア語は話せるけど、ロシアは好きじゃない」と言っていました。ロシア語が話せて文化的にはロシアの影響を多いに受けているけど、政治的には警戒すべき仮想敵国、といったところでしょうか。

ちなみに2015年まで、ジョージアはロシア語の発音に近い「グルジア」と日本では呼ばれていましたが、ジョージア政府の要請で英語発音の「ジョージア」に呼称が変更されました。呼び名にも反ロシアの影響が滲み出ています。

話が逸れてジョージアの話になってしまいましたが、今回のアルメニアとアゼルバイジャンの武力衝突も領土問題による対立が原因とのことです。

政治の動きが戦争に結びつくかもしれないという緊張感

イスラエルに行ったときのことです。
ある週末、イスラエル人の友人が一家でおばあちゃんの家でランチを食べるというので私を招いてくれました。食後、家族で団欒していたのですが、お父さんとおばあちゃんの議論がにわかに加熱し、口論のような状態になりました。二人はヘブライ語で話しているので、その時は私には二人が何を話しているのかわかりませんでしたが、家族の他のメンバーは特に気にする様子もなく平然としていました。解散したあとで、友人に二人が何を話していたのか聞いたところ、政治について話していたと聞いて驚きました。週末の昼食の家族団欒の席で政治の話になり、しかも議論が加熱して口論のようになるというのは日本ではなかなかない光景ではないでしょうか。少なくとも、私の家族の食事の席では見たことのない光景でした。

後日、他のイスラエル人の友人にその話をしたところ、イスラエルでは家族団欒のときに政治の話をするのは至極当然なこと、べつに変わったことじゃないよと言っていました。続けて「政治次第で、自分の子や孫が戦場に送られることになるかもしれないんだから当たり前じゃないかな」と言われ、妙に納得してしまいました。

イスラエルは徴兵制の国です。男女問わず、健康な国民は皆、若いときに軍に入隊して活動する義務があります。私の友人も皆、軍務に就いた経験があります。
ただ、軍と一口に言っても軍には様々な職種があります。皆が皆、銃を持って戦闘の訓練をするわけではありません。私の友人は女性ですが、戦車の教習所で教官をしていたらしいですし、彼女の友人は軍の広報で働いていて、普段はもっぱらオフィスワークだったと言っていました。
「卒業アルバム」ならぬ「除隊アルバム」を持っていて、皆迷彩服姿ですが、笑ってふざけ合っている写真も多くあり、非常に楽しそうでした。彼女に聞いたところ、同年代の若者が集まっているので大学のようなノリで、実際結構楽しかったそうです。ただ、配属先によっては非常に厳しいところもあるらしく、毎年、自殺者も出ていると行っていました。同年代の人から徴兵の経験を聞くというのはなかなかのカルチャーショックでした。

イスラエルの最近30年の投票率の推移です。「% All Voters」という項目が投票率を表しています。おおむね、60%台後半から70%台で推移しています。
日本と同様、昔のほうが投票率は高かったようですが、日本の衆議院の総選挙の投票率は50%台から60%台なので、イスラエルのほうが投票率は高いようです。

投票率が低いのは幸せなことでもあり、不幸でもある

日本では、若者の政治離れや投票率の低下が叫ばれるようになって久しいですが、それはある意味では幸せなことなのかもしれません。

今の日本が、ある日突然、どこかの国に宣戦布告をしたり、されたりして戦争が始まるというのは考えづらいです。この先10年で日本が戦争を起こしたり、巻き込まれたりする可能性はイスラエルと比べれば高くないと思いますし、人々のあいだの危機感も薄いでしょう。もし、次の総選挙の結果次第では戦争が始まるかもしれないとか、戦争に巻き込まれる可能性が高くなるかもしれないという意識が国民のあいだに強くなれば投票率は自然と高くなると思います。極端に言ってしまえば、「選挙なんか自分には関係ない」という意識が一定の国民のあいだにあり続けていて、実際選挙や政治活動に関心を持ったり、駆り立てられたりする出来事も起きていないということです。それはある意味、幸せなことなのかもしれません。

一方、投票率が低いのは、あきらめの意識が蔓延しているからだという指摘もあります。どうせ誰がやっても一緒、選挙で政治は大きく変わらないといった期待の低さやあきらめが強いから投票率が上がってこないというものです。これも一理あると思います。

選挙次第では戦争が起きるかも、自分や自分の子供や孫が戦場に送られるかもという緊張感が必要ないのはある意味、幸せなことかもしれませんが、どうせ投票に行ったって政治は変わらないというあきらめの意識の蔓延は国として不幸なことだと思います。日本社会は幸と不幸が背中合わせで共存する社会だと言えると思います。