会社は誰のもの?

前回、ソーシャルメディアは事実の裁定者なのか?という議論がアメリカで起こっているという記事を書きました。

こういった話題になると必ず議論になるのが、

  • 企業の社会的責任とは?
  • 会社は誰のものなのか?

という問題です。
私はこれもなかなか難しい問題だと思いますが、以下に紹介するように基本的には会社は株主のものだと思っています。かといって会社(特に大企業)が利益最優先で社会的な影響力や責任を一切無視して利益追求に走っていいのかというとそうは思いません。しかし、そういった社会的義務を果たすことは回り回って結局は会社の利益に結びつくと思っています。

理想論:会社は従業員全員のもの、大企業は社会のもの

経済的な危機に晒されると会社はリストラ、直接的に言えば首切りを行うことがあります。そうすると、「会社は誰のものなのか?」「今まで汗水垂らして会社のために尽くしてきた従業員のものではないのか」という議論が起こります。
最近のコロナによる経済危機に際して、米ディズニー(日本のディズニーリゾートを運営するオリエンタルランドではなくディズニー本社)が従業員10万人に対し、一時帰休の措置を行いました。それに対し共同創業者ロイ・ディズニー(ウォルト・ディズニーの兄)の孫のアビゲイル・ディズニー氏が経営陣を批判したことがニュースになりました。アビゲイル氏はディズニー経営陣が巨額の報酬を得ているにもかかわらず、従業員を一時帰休したことをツイッターで批判しました。
前回、お話ししたフェイスブックも「投稿内容を規制しないのは金儲けのためだ、けしからん!」という批判に晒されています。フェイスブックは大企業なのだから社会的責任を果たすべきだという批判です。

経済学的正論:企業は株主のもの

そもそも企業の存在意義は何でしょうか?
資本主義社会において企業の一義的な存在意義・目的は利益追求だと思います。
資本を投資して設備を整え、従業員を雇用し、利益をあげることが企業の最大の使命です。経済学的な正論を言えば、企業は最終的には資本を投資している株主のものです。

では、企業は利益追求のためなら従業員を捨て駒のごとく使い捨ててもいいのでしょうか?
私は、そういった経営態度は結局は利益追求に反する行為だと思います。

かつて、ワタミという日本の居酒屋チェーンの労働環境が劣悪だと話題になり、大きな批判にさらされました。
経営者からすれば、従業員を長時間、残業代なしで働かせれば人件費を節約した上で従業員に付加価値を創造させれば会社の利益に繋がると考えがちです。

では、ワタミはその後、利益を伸ばせたのか?
そうはなりませんでした。ブラック企業だという批判が会社の評判を下げて売上はむしろ落ち込みました。
つまり、「企業は社会的責任を果たせ!従業員の権利を軽視するな!」という批判を無視し続けることは、結局は利益追求に結びつかないということです。

労働者の保護は政府の仕事

では、批判の対象になりにくい中小企業であれば、利益追求のために何をしてもいいのか、というとそんなことはないと思います。
どうしても労働者と雇用主は力関係上、雇用主の方が有利な立場になりがちです。労働者は失業すれば生活の糧を失いますが、雇用主は従業員一人をクビにしたところで会社が立ち行かなくなるとは考えづらいです。クビにしたら誰か他の人を雇えば済むことです。
資本主義社会では企業経営者が利益追求のために従業員の権利を軽視してしまうということは起こりえます。しかし、労働者保護は法律によって行われるべきで、経営者や企業の良心をアテにすべきではありません。あくまでも経営者は法令を遵守した中で利益の最大化を図るべきです。

かつてソ連や中華人民共和国で理想とされた共産主義は、利益追求を第一に考える企業経営者や株主などの資本家を敵視し、労働者中心の社会の実現を目指しました。しかし、すべての企業を国有化し、政府が作成した計画に沿って経済活動が行われるようになると、途端に経済が停滞してしまいました。結局、資本家の一掃は労働者の利益にもならなかったのです。
資本主義社会では、それぞれの企業が利益を追求し、切磋琢磨することで社会の富が創造され、結果として社会は豊さを享受することができます。資本家は一見、労働者をコキ使って私腹を肥しているように思われがちですが、資本家が資本を事業に投下してリスクを取り、企業が労働者を雇用し、労働者が働くことで社会に富が創造されていきます。


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