【書評】ヤクザ映画と自民党の共通点

権力闘争は蜜の味

突然ですが、皆さんはヤクザ映画って見たことありますか?

私は学生時代にハマった時期がありまして、代表的なものはひととおり見ました。

ヤクザ映画が面白いのは、ヤクザとか極道というかけ離れた世界の話であるにも関わらず、どの社会にも共通するテーマが描かれているからだと思います。

それは権力闘争です。

ヒトと金が集まる組織であれば、そこには権力が存在します。そして、権力が存在すればその組織の人々が権力をめぐって抗争を繰り広げます。

それは会社であろうがヤクザ組織であろうが政党や政府であろうが同じです。

以前、『半沢直樹』にハマったことがあってブログに書いたこともありましたが、あれもまさに銀行内での権力闘争の物語です。

あらゆる組織で権力闘争が存在するにも関わらず、ヤクザが映画やゲームに取り上げられやすいのは、権力闘争に暴力を用いるという他の組織とは大きく異なる特徴があるからだと思います。

現実では暴力という犯罪行為ですが、映画の中ではアクションシーンになってエンターテイメント色を付けやすくなります。

さらに多くの人にとって遠い世界の話なので、ある種のファンタジーに仕上げやすいのだと思います。

多くの映画やゲームのテーマになるということは自身が巻き込まれずに第三者の立場から俯瞰できる限り、権力闘争を覗き見るということは非常に面白い、権力闘争は蜜の味ということだと思います。

良くも悪くも昔から変わらない自民党

今日、自民党の総裁選の投開票がありました。

自民党の総裁選の時期にテレビで取り上げられているとついつい見てしまいます。

暴力団の締め付けや企業統治のコンプライアンスが叫ばれる21世紀の現代社会で、リアルな権力闘争の模様を目の当たりにできる数少ない例だと思います。

先日、その自民党の権力闘争の歴史に焦点を当てた、『裏切りと嫉妬の「自民党抗争史」』という本を読んだのですが、ヤクザ映画並みのギラギラとした権力闘争が描かれていました。

1955年の結党以来、自民党は一部の短い期間を除くと一貫して日本の政権与党の立場にあり続けています。
吉田茂率いる自由党と鳩山一郎率いる日本民主党が合同して誕生した党なので、結党の時から党内に旧自由党派と旧民主党派に分かれていて、当然ながらその間で党の主導権争いが起こります。

党内派閥の歴史は形を変えてではありますが、連綿と現在まで引き継がれています。まさにお家芸と言っていいと思います。

こんなことが可能だったのは、日本に2大政党制が定着しなかったからだと思います。

1990年代の日本社会党や2000年代以降の民主党のように野党第一党が政権与党の座を脅かし、政権交代が実現したこともありましたが、基本的には自民党内で疑似政権交代を繰り広げることで、戦後一貫して自民党のもとで政権運営が行われてきました。

この本を読むと、驚くほど野党の存在感がありません。
「自民党抗争史」と題されている本なので、自民党にフォーカスされているのはわかりますが、それにしても野党は空気のような扱いです。実際に当時の自民党の政治家たちも頭の中は党内抗争でいっぱいで野党は眼中になかったのではないかと思います。

自民党内での権力闘争による疑似政権交代には功罪あると思います。

ひとつの政党の中で権力闘争をして、その結果で時の総理が選ばれるというのは、成熟した民主主義とは言えないと思います。

そもそも、同じ党所属なので政策面やイデオロギーでの対立というのはそれほど大きくないわけです。

確かに自民党は左右に幅の広い政党ではあると思いますが、アメリカの民主党と共和党、イギリスの保守党と労働党のように、対立する勢力間で支持層も国家観も経済政策もはっきりと分かれるということは同じ政党である以上、ありえません。

この本を読んでも、対立する2つの勢力間の政策面での違いや対立というものは驚くほど登場しません。

著者もその点について本文の中で指摘をしており、田中角栄氏が公共事業への投資を経済成長へとつなげるケインズ的な経済観であった一方、対抗馬であった福田赳夫氏が財政規律を重視する経済観を持っていて、両者で政策論争が繰り広げられたことを除けば、自民党において政策論をめぐる抗争劇は少なかったと述べています。

このように対立の種の多くは、親分と子分、仇敵と味方などの人間関係をベースとした義理や人情がメインでまさにヤクザ映画と同じ構図です。

最後は選挙で決める、ということもあったようですが、たとえ負けても下野するわけではないので、そこにはやはり奢りや歪みが生まれてくると思います。

ただ一方で、政権としての安定感はあります。

特に60年代、70年代はイケイケの高度経済成長の時代でした。
政治の役割は経済成長を援護し、その足を引っ張らないことで、経済が高成長を維持する以上は党内抗争も許容されるという世の中の空気があったのではないかと思います。

しかし、バブル崩壊を経て日本の高度経済成長は歴史上の出来事になりつつあります。

失われた30年などと言われますが、低成長が続く社会の中で、旧態依然とした政治体制がこのまま続くことが果たして国益にかなうのかと考えさせられるところではあります。


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